神戸の元町、ポートタワーの見える事務所で
弁護士をしています、古谷(ふるたに)です。
トラブルの発生を予防して、
安心して、事業・生活が送れるよう
サポートしています。
若い人たちの間で、
写真の撮り方に変化があるようです。
少し前までは、加工アプリできれいに盛る。
肌を整え、輪郭を変え、目を大きくする。
そんな写真が当たり前のように使われていました。
ところが最近は、
過度な加工から少し離れて、
スマホの標準カメラで、自然に撮る。
しかも、インカメラではなく、
画質のよいアウトカメラで撮る。
そんな流れがあるそうです。
スマホの“ミニ”外付けディスプレイが流行の兆し? 若者がインカメラではなく「アウトカメラ」で自撮りする理由(ITmedia)
外付けの小さなディスプレイを使って、
自分の写りを確認しながら、
アウトカメラで撮影する人も
いるとのこと。
なるほど、と思いました。
加工してきれいに見せるより、
無加工で、高画質に、自然体で見せる。

これは、裁判の世界にも
通じる話です。
紛争が起きて、弁護士に相談されるとき、
人はどうしても、自分の視点で事実を話します。
わざと嘘を言っている
そういうわけではありません。
ただ、自分にとって
つらかったこと、
腹が立ったこと、
納得できなかったことが、
どうしても強調されます。
いわば、
”インカメラ”の視点です。
自分から見た自分の世界。
そこには、感情も入りますし、
少し加工も入ります。
しかし、裁判という場で求められるのは、
”無加工”の客観的な事実です。
誰が、
いつ、
何を言ったのか。
どんな契約書があるのか。
メールには何と書かれているのか。
議事録にはどう残っているのか。
入金や納品の記録はあるのか。
裁判官が見るのは、
そのような
外から確認できる事実です。
裁判をしてきた経験から言うと、
大事なのは、
文章の装飾ではありません。
どれだけ強い言葉で
相手を非難しても、
どれだけ感情を込めて
苦しさを訴えても、
それだけでは足りません。
むしろ、過剰な装飾は、
警戒されることもあります。
本当に事実があるなら、
なぜそこまで
抽象的な装飾を使うのか。
事実の不足を
隠そうとしているのではないか。
そんな見方をされることもあります。
文章にどれだけ装飾をしても、
生の事実には勝てません。
大切なのは、
こちらに有利な事実が
どれだけあるか。
そして、
それが証拠として
残っているかです。
契約書。
見積書。
発注書。
納品書。
メール。
LINE。
議事録。
写真。
通話後のメモ。
こうしたものが、
あとで大きな力を持ちます。
たとえば、取引先から、
そんな追加費用は聞いていない、
と言われたとします。
そのときに、
追加作業の内容と金額について、
事前にメールで確認していれば、
話はかなり変わります。
社員との面談でも、
注意した内容、本人の反応、
改善を求めた期限を記録していれば、
後から急に解雇された等と
争われる余地が減ってきます。
裁判になれば、
それらを分かりやすく整理して、
裁判官に提示していくことになります。
ただ、本当は、
裁判になる前に解決するのが
一番です。
相手方から見ても、
これだけ証拠が残っているなら、
争っても難しい。
そう思ってもらえれば、
早い段階で話し合いが進むことも
あります。
つまり、
証拠を残すことは、
戦うためだけの
準備ではありません。
争いを
大きくしないための
防御線でもあります。
無加工の事実を
日頃から残しておく。
後から見ても分かる形にしておく。
これは、中小企業にとって
とても大切な予防法務です。
人の記憶は、
どうしても加工されます。
時間が経てば、さらに変わります。
だからこそ、
その場で、ありのままを
残しておく。
スマホの写真が、
過度な加工から自然体へ向かうように、
会社の記録も、
飾らず、
正確に、
客観的に。
いざというとき、
一番強いのは、
よくできた言い訳ではなく、
無加工の事実です。

